■大人の麦茶 第十八杯目公演『1974(イクナヨ)』 東京・紀伊國屋サザンシアター 総括

12/14〜12/18まで、全10回公演。

そのうちの7公演

・12/14
・12/16昼
・12/17朝
・12/17昼
・12/17夜
・12/18朝
・12/18夜


観劇に行くことができました。


今回、当初3月に行われるはずだった公演。


主になっきぃブログ・オトムギブログ・斉藤さんのブログ・宮原さんのブログなどで、ちょくちょく稽古などの内容が書かれていたので、読んでました。


私も待ちました。



パンフレットは、3月分に販売される予定だったのも、会場限定で販売されてました。

あらすじがほとんど書いてあったので、最初は読まないで舞台初日を観劇しました。


1974年の時代をモチーフにしてましたので、その当時のフレーズや小道具などにちりばめてました。

マジソンバックとかオイルショックの話し。

替え玉受験など。



3公演あった、アフタートークショーの中から覚えている範囲で。


ゴムパッチンの刑に使う、ゴムは2本をねじり合わせてそれが3本セットあって、12/17の1回目が終わったときに2回目に出る前に、なっきぃは外さなきゃいけないのが、着けて出てしまったエピソードがありました。

途中からゴムが伸びて、翼が、りつ子に緊張ほぐすためにやるゴムパッチンの刑が痛かったそうです(笑)


今回延期になっての感想で、なっきぃは、

『初日を迎えて皆さんにお届け出来て嬉しかった』


千聖は、『9月の戦国自衛隊の役が幼い役で、共通する部分もあった』


どぅーは、『モーニング娘。に決まったときに、1974には出演出来るかをスタッフに確認した。』



印象に残ったシーンでは、
先生役の磯和さんが、どじまちゃんの「高原はイギリス、スクリーンはアメリカ」という台詞が深いと言ったら、千聖が共感したが、意味は?と突っ込まれて困惑してたwww



りつ子のおとうさん役の中神さんは、りつ子に説教するシーンのなっきぃの顔がすごく怒られてる表情していて、客席からは見れないから、この表情は見せてあげたいとか言ってました。


りつ子のおかあさん役のもりざねさんは、寒さんの白黒テレビを翼とりつ子が寄り添いながら、見るシーンがいいと言ってました。

私もあのシーンは、「あの時代の青春だなぁ〜」って感じた瞬間でした。


18日のトークショーで、16日のトークショーで、司会だった、どじまちゃんこと宮原さんが司会になってなくて、ブログのコメントで稽古前にやっていたゲームをやるのはどうか?という書き込みがあったので、『007&009』ゲームを最後のトークショーでやってました。


説明省略されたので、アレですが、最初に親が「0(ゼロ)」と言って誰かを指差して、続くゲーム。








バン(ピストル打つ)

(撃たれた人の両サイドの人が)「大丈夫?」と助けるポーズをする。

ナインは、
確か撃たれた人含め両サイド3人が、走るポーズをする。


出来なかったら罰で、ワンフレーズ歌を歌う。


なみちょーさんは、所属していた息っ子クラブの曲をwwwwwwwww



千秋楽、はっちゃけてた役者さん達。

かんさんこと斉藤さんが、マジで白黒テレビに足をぶつけて痛がっていて、なっきぃ・岡井ちゃんがビックリしていた。


なみちょーさんの、親父言葉で、岡井ちゃんは笑いこらえられずwww

その後池田さんになみちょーさんどつかれてたwww

クライマックスのドル誕で、司会者登場のサプライズ。

かんさん兄弟が、客席後ろからステージに向かって歩いていたが、斉藤さんは号泣して、ステージ上がっても、演技ができないほどだった。

アンコールはなっきぃから、塩田さん・池田さんに花束贈呈。


終わってしまった、1974。


印象に残ったシーン。

いくつかありますが、どじまちゃんが、「声に感謝」のセリフに、ふじこが「声に感謝はできませ〜ん」ってとこで、後半声が出なくなることで、大切さを学んだ感じなとこ。

翼とりつ子が、白黒テレビに寄り添って見るシーン。

翼の親父が刺されるところからバス停からの翼の兄と再会のシーン。

ここでは特に、翼が学生帽を投げ捨てる。

それをそっと拾い上げ、胸に抱きしめているところで、初恋の男の子はいないという現実を思い知らされたところ。

この流れからのドル誕からラスト。


ラストで、翼と出会ったことで、熱中したこと。
戻りたいっていう台詞は、そういうことなんだろうなって。



今回、7回しか観に行けなかったけど、人としての忘れていた部分を思い出させてくれた作品だったと思いました。


この舞台に携わった皆様、ありがとうございました。